藤原さくらの父・藤原宏二とはどんな人!? [エンタメ]
今回は、
シンガーソングライターの藤原さくらさんの
父・藤原宏二さんについて。
彼もミュージシャンでベーシストということですが、
一体どんな活躍をしてきた人物なのか?
現在は何をされている方なのか?
スポンサーリンク
藤原さくらさんへミュージシャンとしての
影響も多大に与えてると思われる
父・藤原宏二さんについて、調べてみましたよ。
早速、見ていきましょう!
【藤原宏二のプロフィール】
名前: 藤原宏二
生まれ: 1962年
学歴: 福岡市立福岡商業高校(現・福翔高校)
さて。
まず藤原宏二さんのルーツ。
<中学時代>
中学生のころから音楽が好きで、
井上陽水や吉田拓郎をフォークギターで
コピーしていたという彼は元アップタウンオーケストラの
山田創さんや山田さんの父からブルースやJAZZを
教えてもらっていたということ。(山田創さんは同級生だった。)
それが、なぜベースを始めるに至ったかということですが、
どうやら、ビートルズのポール・マッカートニーの
ベースに一目惚れしたこときっかけのようです。
ちなみに藤原宏二さんの誕生日はビートルズ結成日!
何か、運命的なものを感じさせます・・・。
彼は中学生ながらベースにハマり込み
次第にプロとしてやっていくことを自覚していた。
<高校時代>
福岡市立福岡商業高校(現・福翔高校)に
入学した宏二さんは早速、コピーバンド「トータス・ヘッド」
を結成。
2年生になると、今度はオリジナルにも
着手していったようです。
そして初の対バン。
その相手とは、
須崎の「ダークサイドムーン」にて
大人気バンドだった“フルノイズ”と“ザ・ロッカーズ”。
恐らく、どちらとも聞いたことのない方
が多数だと思いますが、
フルノイズは骨太のロックを奏でるバンドで
東京のレコード会社からのオファーも
あったという人気バンド。(デビューはなし)
そしてザ・ロッカーズは俳優・タレントの陣内孝則が
かつて在籍していたバンドで、
デビッドボウイのグラムロック風
なメイクをして、女性客に人気のバンドであったようです。
そんな人気バンドと初の対バンをした藤原宏二さんは
「あまりの差に心を打ち砕かれた」そうです。
しかし、その後めげずに楽夢・80‘sファクトリーなどの
LIVEハウスにレギュラー出演したそうですね。
スポンサーリンク
<高校卒業後>
高校卒業後はプロを目指して
フリーターになったそうです。
その後、対バンで衝撃を受けたバンド
であるザ・ロッカーズの鶴川仁美さんと
「パラドックス・ターキー」というバンドで活動したり
内田達也さんらと「Messengers」を結成し、
カセットを発売したそうです。(4曲入り)
そうした活動を経て、単身東京に渡った
彼はバンド「たけのうちカルテット」で
TBSテレビのイカ天にも出演を果たす。
(イカ天=三宅裕司のいかすバンド天国)
レコード会社から様々なオファーがあったものの
バンドブームの終焉により、デビューの話は
無くなってしまいます。
そんなとき、父の体調不良の話を聞き、
実家の福岡へ戻ることに・・・
<福岡へ戻る>
福岡へ戻った宏二さんは
29歳にして初の就職をし、
同級生との結婚もします。
1992年にはSmall Circle of Friends
というバンドに加入し、福岡在住のまま、
メジャーデビューを果たしたそうです。
その後、
東京進出の話が出るも、二女のさくらさんが
生まれたばかりのことだったため、
家族のために福岡に残ることを決意したそうです。
《現在》
(左・さくらさん、右が藤原宏二さん)
さて、気になる藤原宏二さんの現在はというと
サラリーマンに終止符を打ち、妻の経営するスイーツ店
spoonful & osajiをともに経営することに。
バンド活動の方は、スイーツ店が安定するまでは
封印していたそうですが、
軌道に乗ってからは、徐々に再開していったようです。
現在は娘・さくらさんのサポート・プロデューサー・トレーナー
として、がんばってるみたいですよ!
スポンサーリンク
シンガーソングライターの藤原さくらさんの
父・藤原宏二さんについて。
彼もミュージシャンでベーシストということですが、
一体どんな活躍をしてきた人物なのか?
現在は何をされている方なのか?
スポンサーリンク
藤原さくらさんへミュージシャンとしての
影響も多大に与えてると思われる
父・藤原宏二さんについて、調べてみましたよ。
早速、見ていきましょう!
【藤原宏二のプロフィール】
名前: 藤原宏二
生まれ: 1962年
学歴: 福岡市立福岡商業高校(現・福翔高校)
さて。
まず藤原宏二さんのルーツ。
<中学時代>
中学生のころから音楽が好きで、
井上陽水や吉田拓郎をフォークギターで
コピーしていたという彼は元アップタウンオーケストラの
山田創さんや山田さんの父からブルースやJAZZを
教えてもらっていたということ。(山田創さんは同級生だった。)
それが、なぜベースを始めるに至ったかということですが、
どうやら、ビートルズのポール・マッカートニーの
ベースに一目惚れしたこときっかけのようです。
ちなみに藤原宏二さんの誕生日はビートルズ結成日!
何か、運命的なものを感じさせます・・・。
彼は中学生ながらベースにハマり込み
次第にプロとしてやっていくことを自覚していた。
<高校時代>
福岡市立福岡商業高校(現・福翔高校)に
入学した宏二さんは早速、コピーバンド「トータス・ヘッド」
を結成。
2年生になると、今度はオリジナルにも
着手していったようです。
そして初の対バン。
その相手とは、
須崎の「ダークサイドムーン」にて
大人気バンドだった“フルノイズ”と“ザ・ロッカーズ”。
恐らく、どちらとも聞いたことのない方
が多数だと思いますが、
フルノイズは骨太のロックを奏でるバンドで
東京のレコード会社からのオファーも
あったという人気バンド。(デビューはなし)
そしてザ・ロッカーズは俳優・タレントの陣内孝則が
かつて在籍していたバンドで、
デビッドボウイのグラムロック風
なメイクをして、女性客に人気のバンドであったようです。
そんな人気バンドと初の対バンをした藤原宏二さんは
「あまりの差に心を打ち砕かれた」そうです。
しかし、その後めげずに楽夢・80‘sファクトリーなどの
LIVEハウスにレギュラー出演したそうですね。
スポンサーリンク
<高校卒業後>
高校卒業後はプロを目指して
フリーターになったそうです。
その後、対バンで衝撃を受けたバンド
であるザ・ロッカーズの鶴川仁美さんと
「パラドックス・ターキー」というバンドで活動したり
内田達也さんらと「Messengers」を結成し、
カセットを発売したそうです。(4曲入り)
そうした活動を経て、単身東京に渡った
彼はバンド「たけのうちカルテット」で
TBSテレビのイカ天にも出演を果たす。
(イカ天=三宅裕司のいかすバンド天国)
レコード会社から様々なオファーがあったものの
バンドブームの終焉により、デビューの話は
無くなってしまいます。
そんなとき、父の体調不良の話を聞き、
実家の福岡へ戻ることに・・・
<福岡へ戻る>
福岡へ戻った宏二さんは
29歳にして初の就職をし、
同級生との結婚もします。
1992年にはSmall Circle of Friends
というバンドに加入し、福岡在住のまま、
メジャーデビューを果たしたそうです。
その後、
東京進出の話が出るも、二女のさくらさんが
生まれたばかりのことだったため、
家族のために福岡に残ることを決意したそうです。
《現在》
(左・さくらさん、右が藤原宏二さん)
さて、気になる藤原宏二さんの現在はというと
サラリーマンに終止符を打ち、妻の経営するスイーツ店
spoonful & osajiをともに経営することに。
バンド活動の方は、スイーツ店が安定するまでは
封印していたそうですが、
軌道に乗ってからは、徐々に再開していったようです。
現在は娘・さくらさんのサポート・プロデューサー・トレーナー
として、がんばってるみたいですよ!
スポンサーリンク
2016-02-22 10:00
nice!(6)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0